極東の窓

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盛岡出身の卒業生 三好さんからいただいた「ロシアビスケット」

 戦前の函館には、様々なロシア人が暮らしていました。20世紀初頭には、「旧教徒」と呼ばれる人たちが、自己の信仰を守りながら自給自足的な暮らしを函館郊外で営んでおり、またロシア革命後は白系ロシア人が定住し始め、さらに1925年から45年までの約20年間は、ソ連領事館関係者(ソ連国籍者)も暮らしていました。
 当時の新聞から、旧教徒が「ブラーガ酒」という自家製の蜂蜜酒を日本人に販売したことがわかっています。また、白系ロシア人が作った麺麭(ロシアパン)やジャムの美味しさは、今なお函館の人たちの記憶に残っています。
 「ロシアケーキ」のように、ロシア人の菓子職人を通して、各地に広がっていった洋菓子もあれば、ロシアの永久凍土をイメージして日本人職人が作ったと言われている(諸説あり)「シベリア」(羊羹をカステラで挟んだ菓子)のように、パン屋でよく見かけた和菓子風の菓子もあります。
 今回ご紹介する「ロシアビスケット」は、「盛岡正食普及会」で製造販売しています。
 「ロシア」と名の付くものには何でも興味を持つ我々としては、思わず盛岡出身の4年生の三好さんに、「ロシアビスケット」ってどんなお菓子?と聞いてみたのです。すると三好さんは、就職活動で地元に帰省した際にお店に立ち寄り、「クルミ」と「クルミ・レーズン」の2種類を学校へのお土産として買って来てくれたのです。
 三好さんがお店の方から聞いてきた話しによると、「ロシアビスケット」の考案者は、シベリア抑留者だそうです。ビスケットの包装には、「原材料名 岩手県産の小麦粉、粗製糖、クルミ、添加物の入らないマーガリン、卵、小麦胚芽」、とありますが、シベリアから無事生還した考案の方は、「ロシアビスケット」にどのような思いを込めたのでしょうか。
 店舗となっている建物もなかなか素敵だったと聞き、調べてみたところ、盛岡市ホームページに「旧井弥商店(現盛岡正食普及会)」盛岡市指定保存建造物に挙げられていました。
 ぜひ一度訪れてみたいものです。