極東の窓

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行進曲と有名な作曲家イサーク・ドゥナエフスキーの映画音楽

一般向け文化講座「はこだてベリョースカクラブ」の今年度4回目の講話内容です。
テーマ:行進曲と有名な作曲家イサーク・ドゥナエフスキーの映画音楽
講 師:スレイメノヴァ・アイーダ(本校准教授)
 皆さんはロシアの軍歌、行進曲を聞いたことがありますか?
 外国人から見たロシアの音楽へのイメージは悲しい、暗いものが多いですが、ロシア人自身は明るいイメージを持っています。軍歌と聞くと怖いイメージもあるかもしれません。けれど、悲しいこと=戦争ではなくて、明るい未来=平和を連想しているのです。なので、ロシアでは今なお、大きな祭りやパレードではこのような曲が欠かせません。
 行進曲(マーチ)は、「1、2、3、4」と拍を数えます。リズムが決まっています。このリズムは非常に分かりやすいです。もともとは軍歌に多く使われていましたが、映画のメロディにも使われるようになりました。その代表的な曲は名作『チャパーエフ』の「白軍の行進曲」です。これはイサーク・ドゥナエフスキーの音楽です。
 イサーク・ドゥナエフスキーは、様々な歌や行進曲を作りました。有名なものは映画『サーカス』の「登場行進曲」、映画『豊かな花嫁』の「女性の行進曲」、映画『ゴールキーパー』の「スポーツ行進曲」など挙げるときりがありません。ドゥナエフスキーの歌や行進曲は単に映画のサウンドトラックととらえるのではなく、1930年代のソビエトを連想させる、映画作品とは別物として多くのロシア人の心に残るものとなりました。
 ドゥナエフスキーを語る前に、ワシリー・イワノヴィッチ・アガプキンについて少し話しましょう。アガプキンはロシア(ソビエト)の軍楽隊の指揮者、作曲家で、1912年に行進曲「スラブ娘の別れ」を作曲したことで有名です。彼は、1941年11月7日にモスクワの赤の広場で行われた有名なパレードで、複合軍事オーケストラを指揮しました。このパレードで演奏した4曲のうち1曲が「スラブ娘の別れ」でした。
 このアガプキンの影響を受けたのがドゥナエフスキーなのです。
 ドゥナエフスキーの青春時代の1920年代はジャズの時代でした。彼も憧れました。そのため、彼の作ったバレエ音楽にはジャズっぽいところがあります。ドゥナエフスキーは作曲家として、14ものオペラと3つのバレエ、3つのカンタータ、80の合唱曲、80の歌曲、88の劇音楽、42の映画音楽、43の軽音楽オーケストラのための作品、12のジャズオーケストラのための作品、52の管弦楽団のための作品、47のピアノ曲を作りました。
 ドゥナフスキーを有名にしたのは、1934年に公開された『陽気な連中』という映画作品の音楽でした。この作品はロシア語が分からなくてもコメディのため、動きで楽しめるものでしたが、その動きをさらに面白くさせたのは彼の音楽でした。動作に音が、音楽がついていたのです。
その後は、先ほども挙げた『サーカス』や『裕福な花嫁』などの映画で音楽を担当し、行進曲を発表しました。
 もともと行進曲はロシア独自のものではありません。しかし、ロシアの文化と融合してロシア人が大好きなものになりました。大きなパレードで使用するだけでなく、学校で行われる運動会での出し物のひとつとしても人気になりました。昨年のロマンスの話をしたときも思いましたが、私たちロシア人にとって歌は“好き”だけでは表すことができない、切っても切れない関係なのだなと改めて思いました。