極東の窓

ロシア極東連邦総合大学函館校がお送りする極東情報満載のページ。
函館から、ウラジオストクから、様々な書き手がお届けします。

20世紀におけるロシアの映画スター(女優)

一般向け文化講座「はこだてベリョースカクラブ」の今年度第7回目の講話内容です。
テーマ: 20世紀におけるロシアの映画スター(女優)
講 師: スレイメノヴァ・アイーダ(教授)
 ロシア人の女性のイメージで、まず思い浮かぶのは「美しい」ということではないでしょうか。美しい女性はたくさんいますが、ハリウッド・スターのような女優はいません。それは映画自体が、ハリウッド映画のようなわかりやすいものばかりではないというのも理由でしょう。ロシアの映画は、社会的で政治的な問題をテーマにしたものが多く、女優が活躍するのは難しいです。けれどもロシアの映画ファンの中では、今でも人気の女優がいます。今日はその人気の女優たちについてお話しします。
 まず一人目は、サイレント映画で活躍したヴェーラ・ホロードナヤです。彼女はウクライナ出身です。1893年に生まれ、1919年に亡くなりました。彼女がスクリーンの中で活躍したのはほんの数年です。時代背景を考えるとわかりますが、ロシアの内戦が勃発していた時代です。彼女は1914年にデビューしました。代表的な作品は『蜃気楼』(1918年)です。これからもっと活躍するというときに亡くなりました。どうして亡くなったのか、死因は分かっていません。内戦という時代で調べる方法もありません。彼女が26歳で亡くなってしまったということだけが事実です。
 次に紹介する女優は、ユーリア・ソンツェワ(1901年-1989年)です。モスクワ出身で、映画監督でもあり、脚本家でもあり、プロデューサーでもありました。1924年にヤーコフ・プロタザーノフ監督のSF映画『アエリータ』に火星の女王アエリータ役で主演で、デビューしました。この映画で、ソビエトの新しい女性像を表現しました。宇宙開発に力を入れていた時代です。火星が舞台の一つになったのも分かるでしょう。この映画はソビエトの新美術(構造主義)、社会主義的なプロパガンダに溢れる作品です。この宇宙感を表した衣装や美術は、『スターウォーズ』にも影響を与えています。アエリータの服や頭のモチーフは見てもらうと納得できます。
 ここまでは無声映画でしたが、次は1930年代のソビエト映画から紹介します。リューボフィ・オルローワ(1902年-1975年)は無声映画のピアノ伴奏をしていましたが、耳の病気になり、長く続けられませんでした。1933年に監督のアレクサンドロフと知り合い、結婚しました。彼の作品、ソビエト初のコメディー映画『陽気な連中』でデビューし、ソビエトを代表する女優となりました。その後もアレクサンドロフ監督の映画『サーカス』、『ヴォルガ・ヴォルガ』、『恋は魔術師』に出演しました。その演技は、ハリウッドで活躍していた女優マレーネ・ディートリヒの真似でしたが、それでも国内で大変な人気で、何度もスターリン国家賞を受賞しました。
 次に紹介するのは1950~70年の映画で活躍した、リュドミラ・グルチェンコ(1935年-2011年)です。彼女は1956年にデビューし、亡くなる直前まで多くの映画に出演しました。彼女の魅力は、良い意味でロシア人っぽくない可愛らしい顔立ちとウエストの細さでした。そして彼女を有名にしたのはコメディー映画『カーニバルの夜』でこの映画は大ヒットしました。今もロシア人はお正月の時、彼女がこの映画で歌った歌を歌います。何度見てもこの映画は面白く、ロシア人はワクワクします。
 同時期に活躍したナデージダ・ルミャンツワ(1930年-2008年)は、グルチェンコ同様コメディー映画『女の子たち』に出演後、可愛らしい容姿からロシアのオードリーヘップバーンとして人気女優になりましたが、劇中で歌うことはなく、グルチェンコの人気には敵いませんでした。
 ようやく現代の話になります。ミラ・ニクス(1983年-)は、アメリカで活躍している女優ですが、出身はウクライナで、ロシアの映画ではなくテレビによく出演しています。彼女が有名になったのはオスカー賞を受賞した『ブラック・スワン』という映画です。ほかにオルガ・キュリレンコ(1979年-)という女優をご存じですか?彼女もウクライナ出身で、2008年公開の007シリーズでボンド・ガールに抜擢されました。
 現在はやはりアメリカ、ハリウッドを拠点にしている女優になってしまいましたが、この人もロシアにゆかりのある女優だと知っていただけたかと思います。また昔のロシアの映画に触れることで、ロシアの魅力が少し伝わったのではないでしょうか。今日ご紹介した女優がでている映画で気になったものを是非何かの機会に思い出して見てみてくださいね。