極東の窓

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ロシアのお茶と歴史と伝統

一般向け文化講座「はこだてベリョースカクラブ」の今年度第3回目の講話内容です。
テーマ:「ロシアのお茶と歴史と伝統」
講 師:パドスーシヌィ・ワレリー(教授)
 飲み物の中で何が一番好きかロシア人に尋ねたなら、「もちろんお茶(紅茶)です」と答えるでしょう。いつからそれほどまでにお茶はロシアの国民的な飲み物となったのでしょうか。
 最初にお茶を飲み始めた方法と時期についてははっきり分かっていません。お茶という植物「Chinese camellia」の始まりは東アジアです。おそらくインドシナで育ち、そこからアジアの他の地域に広がりました。それを飲み物とした始まりは。中国南西部、現在の雲南省と考えられています。この地域の住民は4000年も前にお茶を飲み始めました。当初、お茶は薬と考えられていました。10世紀ころから、最初は中国で、次に東アジア全体で飲まれる日常の飲み物になりました。
 お茶の呼び名は中国の様々な言語や方言(チャ、タ、テなど)で発音が異なる中国茶に由来しています。ロシア語の「お茶」という言葉は明らかに「ツァイ」と聞こえるモンゴル語から来ました。そしてこの言葉はロシア語からブルガリア語、セルビア語、チェコ語等ほかのスラブ言語に伝わりました。
 現代のロシアで最初にお茶を飲み始めたのは、シベリアと中央アジアの人々でした。ここへは何世紀も前に中国から直接伝わりました。ヨーロッパロシアの地域の人々がお茶に出会ったのはそのずっと後のことでした。
 ロシアのお茶の歴史は、17世紀の前半に始まりました。1638年にモンゴルの支配者が当時の皇帝に贈ったのが最初です。お茶が中国から直接モスクワにもたらされたのは更にあとの1665年のことでした。皇帝アレクセイ・ミハイロビッチが味わい、次に彼に最も近い貴族たちが続きました。彼らはお茶を気に入ったようです。それ以来、お茶は中国から定期的にモスクワに届けられました。
 お茶はロシアにとってかなり高価な嗜好品でした。モンゴルと満州を経由して陸路で輸送されたため、お茶の値段はヨーロッパでの約10倍でした。ヨーロッパへは中国から海路で運ばれましたが、海上での輸送はお茶の品質低下をもたらしていました。
 19世紀半ばになると、シベリア鉄道が建設されたため、19世紀の終わりにはロシア国内全域で一般的な飲み物となっていました。
 お茶の価格は大幅に下がり、全国にいわゆる喫茶店ができました。また「人をお茶に招待する」という新たな来訪の習慣が生まれました。モスクワはロシアの「お茶の都」になり、モスクワではお茶が主な飲み物となりました。本物のモスクワのお茶は、非常に熱く、良質の茶葉で、必ず強く濃く入れたものでなければなりません。
 ロシアのお茶でかかせないものに「サモワール」があります。当初サモワールはお茶ではなく、蜂蜜、スパイス、ハーブを使った伝統的な飲み物を淹れていました。古典的なサモワールは、少なくとも5リットルの容量を持つ金属製の容器です。中には木炭で満たされた金属パイプがあり、木炭が燃焼すると、水を沸騰させます。20世紀には電気サモワールが登場しましたが、専門家は最もおいしいお茶は伝統的な木炭サモワールで淹れたものであるといいます。
 このようにして、19世紀の間に、ロシアではお茶の消費は事実上国民の伝統となりました。ロシア国内での茶葉生産を考え始め、クリミア戦争後にグルジアで実現しました。
 現在のロシアでお茶が生産される唯一の場所はクラスノダールです。1923年、クラスノダールティーは世界最北端のお茶であり、特別な賞を授与されました。また今日ロシアの店では、インド、スリランカ、中国、そして日本などの様々なお茶の種類を見ることができます。今では、どんなお茶も専門のオンラインストアで購入できます。
 しかし、ロシアで最も好まれるお茶はやはり紅茶です。毎日欠かさず、家族と、友人とお茶を楽しみます。皆さんも今夜は家族で紅茶を飲んではいかがですか?