80年代のソ連
一般向け文化講座「はこだてベリョースカクラブ」の今年度第4回目の講話内容です。
テーマ:「80年代のソ連」
講 師:イリイン・ロマン(准教授)
1991年に崩壊した国家「ソビエト社会主義共和国連邦」、通称「ソ連」の崩壊間際10年間について今日はお話します。この10年間というのは、ちょうど僕の子どもの頃です。記憶があります。みなさんもご存知のこともあるかもしれません。写真や映像を見せますから、クイズと思って分かった人は答えてください。
①このマークを知っている人はいますか?これは1980年に開催されたモスクワオリンピックのものです。
冷戦でソ連と対立するアメリカを中心に、多くの国がボイコットし、参加国の少ないオリンピックとなりました。このオリンピックで話題となったのはマスコットの『ミシュカ』です。可愛らしい小熊のデザインは人々を魅了しました。閉会式ではミシュカの形の風船が空に放たれる演出がありました。空高く飛んでいくミシュカに会場にいた人達はそれぞれ願いをこめました。皆、涙を流しながらミシュカを見つめましたが、風船ですから落ちました。この落ちたミシュカを資産家たちが買い取りたいとまた盛り上がりましたが、対応した役所の対応は「NO!」でした。結局このミシュカは長い間倉庫で保管され、そしてネズミに食べられてしまい、跡形もなくなったのです。人々の願いは叶ったのでしょうか。
②この人は誰でしょう?レオニード・ブレジネフ(男性)です。1982年に亡くなったソ連の最高指導者です。勲章が大好きな人で、立場を利用して自分から自分にあげていました。それだけ何かを行ったのも事実です。彼が亡くなった時のことを私は幼かったけれど、よく覚えています。国葬で、テレビで一日中悲しい音楽とニュースが流れ、お葬式の様子が映し出されていました。子どもだったので、面白くないなぁと思って過ごしたのです。
③この人は誰でしょう?ブレジネフのあとの最高指導者ユーリ・アンドロポフです。あまり有名ではありませんが、労働規律強化運動をしました。極端なことを言うと日中、働いていない人は、逮捕されました。
④この人は誰でしょう?ロシア人ではありません。アメリカのロナルド・レーガン大統領です。1983年3月ロシア人にとって有名な演説をしたのです。彼はなんて言ったと思いますか?彼はソ連は「悪の帝国で、悪の中心である」と言ったのです。
⑤この人は誰でしょう?この少女もロシア人ではありません。世界で一番有名な10歳児だったのではないでしょうか。彼女の名前はサマンサ・スミスと言います。彼女はアメリカ人です。冷戦のさなか、アメリカからアンドロポフ宛に手紙を書きました。内容は「戦争をしますか?世界征服をしたいのですか?」「あなたは平和のために何をしますか?」というものでした。
この手紙を受け取った、アンドロポフは「ソ連は平和に尽力しています」と答え、サマンサをソ連に招待しました。彼女は両国の平和の象徴、親善大使となりました。しかし、それはすぐに終わってしまいます。彼女は飛行機事故のため13歳の若さで亡くなったのです。彼女は幼かったですが、平和活動家であり、子どもたちにとってのヒーローでした。
⑥1984年に起こった世界的な出来事と言えば?アメリカが開催地となったロサンゼルスオリンピックですね。前回大会はモスクワで行われ、アメリカがボイコットしたように、この大会ではソ連がボイコットしました。
⑦この人は誰でしょう。この男性は皆さんが良く知る人です。晩年の顔に見覚えがあるから若い頃の写真だと分からないかもしれませんが、これはゴルバチョフです。彼は最高指導者としては、54歳という若い年齢で就任しました。前の人達が高齢だったこともありますが、期待もあり、人気がありました。
⑧ゴルバチョフに関係するポスターです。これはゴルバチョフが行った政策の一つ、禁酒令を表しています。1人当たりのアルコール消費量がものすごく多かったので国民は依存症の人ばかりでした。この政策で、生産制限、価格の引き上げが行われ、人々はどうしたかというと自家製アルコールを作り始める人が増えました。また、アルコールはアルコールでも消毒用のものを飲む人がいたりひどかったんですね。このキャンペーンは失敗だったと思います。
この時代のイメージでしょうか。ロシア人はお酒をすごく飲むと言われますが、今のロシアのお酒の消費量は世界で47位です。2016年の統計です。そんなに上位ではありません。ちなみに日本は64位です。どうですか?ロシアのイメージはやっぱりお酒のままですか?
⑨1986年から2001年まで空の上で使われていたものです。これは宇宙ステーション「ミール(Мир)」です。ロシア語で「平和」を意味します。今まで個室がなかったのですが、このミールには個室があり宇宙飛行士たちのストレスは軽減されました。長い時間滞在することも可能となり、1年以上滞在する記録を作った人もいます。
ミールが打ち上げられた時は国政の影響もあって開発が途中で終わるかもしれないという危機的な状況でもありました。宇宙への憧れは少年であれば一度は持つものだと思いますけど、そうではなくこのミールは本当に国民の希望だったと思います。
⑩1987年モスクワの赤の広場で起こった事件があります。赤の広場に小型飛行機が不時着陸したのです。これは民間機でドイツ人の19歳の少年がフィンランドの帰りに嘘の申告をしてソ連に来たのです。民間機だったので、攻撃はしませんでしたが、国防という意味では役割をなしていません。多くの役人がこの事件を機にクビになりました。またこの少年も禁固4年を言い渡されました。
このニュースは当時放送されませんでした。イデオロギーに反しますね。最近になって観光客が当時撮影した映像がインターネットで出回りニュースになりました。
最初に話したように私の子どもの頃はソ連でした。社会主義国家が良いとか悪いとかという話ではないし、今が楽しくないというわけではありませんが、自分の子どもの頃の思い出は楽しいものばかりです。毎年夏休みになると、子どもたちは集団でキャンプに行きました。日本でいう林間学校のようなものです。その費用のほとんどが国の負担だったため、両親は喜んで見送ってくれました。今は国が負担するなんてありえません。
時代の中で楽しいものは変化します。今は今で楽しいもの、不思議なものがあるでしょう。私たちはどんな記憶を、ものを、風習を後世に残しますか?