極東の窓

ロシア極東連邦総合大学函館校がお送りする極東情報満載のページ。
函館から、ウラジオストクから、様々な書き手がお届けします。

2017ウラジオストクの旅 1

 函館市とウラジオストク市が姉妹都市提携を結び25周年となる今年、極東大学函館校がロシア語市民講座受講生と函館日ロ親善協会会員に呼び掛け、有志による市民訪問団を結成、8月11日(金)から8月16日(水)の6日間の日程でウラジオストク市を訪れた
 訪問団を結成した経緯については学報「ミリオン・ズビョースト/百万の星 第93号」の巻頭言に掲載したが、ここでは旅の様子を詳しくご報告したいと思う。
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<1日目>
 私にとっては8年ぶり、3回目のウラジオストクだった。
1回目は2005年7月、ウラジオストク市建都145周年記念「函館・ウラジオストク友好の翼」訪問団の一員として、当時ウラジオストク航空のチャーター便で函館空港から飛び立った。
 2回目は2009年10月、極東大学本学創立110周年記念式典に参加するため、函館市公式訪問団の一員として富山空港から20人乗りのプロペラ機で日本海を越えた。
 そして今回は成田空港からオーロラ航空に乗る。またまたプロペラ機だ。ちょっと狭くてプロペラの回転音もうるさい。機内ではソフトドリンクのサービスしかないけれど、前回の富山便に比べれば機体も大きいし、3時間弱の旅もまったく問題はない。
 今回の訪問団員は10名、プラス往路は函館からイリイン・セルゲイ校長も一緒だ。昨日は定時まで働き、函館空港から羽田行きの最終便に飛び乗った。品川で1泊し、朝、成田空港の出発カウンターでほかのみなさんと合流する。
 ロシアでクロテンを取材している作家の山口ミルコさんは1日早い便で行ったので、すでにウラジオストクに着いている。ミルコさんは今年2月のはこだてロシアまつりで講演をしていただき、その際「ウラジオに行きましょうよ」とお誘いを受けた。その時点ではまだ旅行は確定ではなかったが、「いや、実は8月に行こうと思っているんですよね」と答えると、わかりました、じゃあ一緒に行きましょう、という展開になった。こういう話をしても普通は社交辞令で終わるもので、実際に行けるとは思っていなかった。ところがミルコさんは本当に参加してくれた。
 
 という訳でミルコさんを除く9名の団員とイリイン校長を乗せたプロペラ機が成田空港を飛び立った。
今回の団員の中にはウラジオにはもう何度も行っている人、ロシアには行ったことはあるけれどウラジオは初めてという人のほか、人生初海外の人が2名いた。だから私は少し緊張したのであるが、それよりも何よりも楽しい夏休み、2月に「行こう」と思いついた旅が、こうして出発まで漕ぎ着けたことにとても満足していた。そして団員のみなさんともどもハイテンションであった。
 
 ウラジオストク国際空港は2012年のアジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議開催を機に建て替えられ、とても立派になっていた。売店やカフェテリアなども充実し、以前の古くて狭いビルとは、ずい分違っていた。
 
 旅行会社の送迎車でホテルへ向かう。久しぶりに見る街の様子はそんなに変わっていないようにも見えた。途中、送迎車がガソリンスタンドで給油をした。普通はお客を乗せる前に満タンで迎えに来るのではないのか?と思ったが、ここはロシアだ。そういうこともあるだろう。
 金曜の夕方とあって道路は大変混雑していた。空港から街に向かう私たちとは逆に、週末のダーチャに向かう車で反対車線はもっと混雑していた。
 
 これから5泊するホテルヴェルサイユに到着。昔から泊まってはみたかったが少し高級なイメージがあったので、最初に旅行会社の方からここを提案された時は「高くないですか?」と少し尻込みしたのだが、第一希望のホテルは既に満室であったし、建物が古くなってきたので昔ほど高くないのだそうである。入ってみたら内装は格調高く、そんなに古びてもいなかった。場所的には中央広場から近くどこへ行くにも便利であり、サービスも行き届いている。とても快適なホテルであった。
 チェックインして各自部屋に荷物を置いてからロビーに集合する。先乗りのミルコさんとも合流し、10名の団員がすべてそろった。そこへ3年前にロシア極東大学留学生支援実行委員会の招へいプログラムで函館校に留学していたパニナ・ダリアさんが来てくれた。彼女は極東大学を卒業後、現在はウラジオストクで日本語ガイドとして働いているそうだ。実は滞在中、一緒にランチの約束をしていたのであるが、仕事が入り来られなくなったため、ひと目だけでもとホテルまで会いに来てくれたのだ。本当に5分ほどの再会で、また慌ただしく仕事に戻っていった。それほど忙しい中、わざわざ会いに来てくれてありがとう。勉強した日本語を使ってこのように活躍している姿を見るのは心から嬉しいものだ。
 
 さて、顔合わせも含めてこの日はホテル近くのグルジア料理店「ドゥヴァ・グルジナ」で夕食会を開催した。団員の友人で現在はウラジオストクの商社に駐在する方(しかも函館出身!)がレストランの手配をしてくださった。その方とイリイン校長、団員10名で一つのテーブルを囲み、一人ひとりが自己紹介をした。どうしてロシアに興味を持ったのか、今回の旅で何を目的としているのか、などなど。成田空港から一緒には来たけれど、お互いがまだお互いをよく知らなかった。
 
 今回の旅ではユニフォームとして、今年のロシアまつりで作ったミントグリーンのTシャツを着用した。まつりのテーマが「ウラジオストク」だったこともあり、このTシャツがぴったりだったのだ。
 ちなみにプラ板の手作りでツアーバッチも作った。これは函館の象徴・五稜郭とウラジオストクの象徴・ニコライ2世凱旋門が重なったデザインで、姉妹提携25周年を記念して25の文字をあしらっている。全員出発の時から滞在中はこのバッジを付けて臨んだ。
 
 レストランでは全員がおそろいのTシャツを着ていたので、ロシア人から見たらきっと異様だったと思う。けれど私たちはそれで一致団結して、お互いすっかり打ち解けた。ハチャプリ(チーズパン)、ハルチョー(お米の入った辛いスープ)、シャシリク(串焼肉)、そしてワイン。グルジア料理はどれも美味であった。
 
 ホテルまで、またプラプラと歩いて戻る。夜10時近いというのに人通りは多く、街に活気がある。レストランのすぐそばにはウラジオ出身のロックバンド「ムミー・トローリ」のバーがあった。ムミーのボーカル、イリヤ・ラグテンコは極東大学の出身であり、1999年に函館を訪れ、「日ロック」というイベントを開催したことがある。そのコンサートはNHKで全国放送もされた。ムミーは当時“ロシアのグレイ”と呼ばれたほど人気が高く、今でも健在だ。私たちはバーには入らなかったが、なかなかいいお店で、メンバーも時々訪れるという話であった。
 
 みんながみんな、高揚したまま部屋に戻り、荷解きをして明日からの本格始動に備えた。これから何が起こるか、とても楽しみだ。(つづく)
                

ロシア極東連邦総合大学函館校 事務局 大 渡 涼 子